「阿房」の輪を世界に/南蛮阿房列車

2000年改正で2往復ながら日豊線に登場した885系「ソニック」(大分にて)/本格登場は2001年 ■阿川弘之■

 内田百間が亡くなられ、阿房列車も紀行鉄路から消えるのかと思われた昭和52年、後継を自認する阿川弘之が運転を再開する。国内から枠を広げ「南蛮阿房列車」として、甦った。「山本五十六」「雲の墓標」など文学作品を描き志賀直哉門下の阿川が、汽車好きだったとは。

南蛮阿房列車(新潮文庫)

 『内田百間先生が最初の阿房列車に筆を染められて四半世紀の時が経ち、亡くなられてからでもすでに五年になるが、あの衣鉢を継ごうという人が誰もあらわれない』と、筆をとる。汽車好きを止めることはできない。

 内田百間「阿房列車」(昭和27年刊)
     「第二阿房列車」(昭和29年刊)
     「第三阿房列車」(昭和31年刊)
 阿川弘之「南蛮阿房列車」(昭和52年刊)

 20年の時が流れた。近代化の名の前に、画一化された車両、列車が増え、旅情は消えつつあった。『百間先生お好みのオープン・デッキの展望車はとっくに姿を消し、とつおいつ考えているうちに一等車がグリーン車と名前を変え、蒸気機関車は無くなり、あまりお好みでなかった新幹線が、延々博多までのびてしまった。たいへん便利なものではあるけれど、百間先生同様、私も新幹線は味がないと思う。少なくとも阿房列車向きではない。

 こうなったからには、いっそよその国で阿房列車を運転してみてはどうだろう。折り毎に外つ国々を訪れて汽車に乗り、南蛮阿房列車を書く―』(昭和52年刊、南蛮阿房列車)狐狸庵(こりあん)遠藤周作、どくとるマンボウこと北杜夫、と世界の列車を楽しむ。アメリカ、欧州、マダガスカル、アフリカ、台湾…。

   欧州、巴里(パリ)にて阿川先生は国際特急TEE(トランス・ユアロップ・エクスプレス)に乗ることを画策する。ホテルで狐狸庵とマンボウを誘う
 『……
 「あしたは何もすることが無いようだが、三人でトゥールーズまで汽車旅をしないか『ル・キャピトール』というフランス一早いきれいな特急が走っているよ」
 トーマス・クックの時刻表を片手に、まず遠藤を口説きにかかったが、
 「何しにトゥールーズくんだりまで行くんや? カソリックのお寺でも見に行くんか」
 「そんなものは見ない。汽車に乗りに行くんだと言っているでしょう」
 「変っとるなあ、お前は」
 ……』

 世間が狐狸庵の味方でも、阿川先生の方が、正しい、断然正しい。クックの時刻表を知ったのは、この本でした。

 カナダでは自分と同じ名前アガワ峡谷鉄道を乗りつぶす。この気持ちも分かります。わたしも自分と同名の駅に降り立ちました。入場券も買いました。国内ですけど。

南蛮阿房第2列車(新潮文庫)

 だけど、ひと言いわせてください。阿川先生が世界を回っている間に、日本では国鉄がJRになり、赤字ローカル線の廃止が相次ぎました。客車列車も無くなるし(平成13年、筑豊線の50系客車列車消滅)、寝台特急も減少。汽車旅も変わらざるを得なくなります。最近は、新幹線も悪くないと考えるようになりました。考えると、南蛮阿房から、さらに20年たっているんだ。

 続編に「南蛮阿房第2列車」(昭和56年刊)あり。最終オリエント急行に乗車できると聞いて阿川先生が動き出す。


 阿川弘之 作家。大正9年、広島市生まれ。東大卒。志賀直哉に師事。昭和27年「春の城」で読売文学賞、「雲の墓標」「山本五十六」「軍艦長門の生涯」「米内光政」など。乗り物関連でも「乗りもの紳士録」「乗物万歳」など多数。


 改訂2000.10.14

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