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宗太郎越え 日豊北線
大正〜平成
宗太郎 PART-II

新緑の宗太郎に挑む「富士」

県境の難所 宗太郎越え

 大分・宮崎県境に立ちはだかる日豊線の最大の難所。1000分の20勾配(1000M進むと20M上る)が連続して続く。峠は大分側から、久留須川沿いに直川から上り、重岡(海抜219M)付近が最高地点で、ここから下り。鐙(あぶみ)川沿いに、宗太郎そして市棚に下りる。トンネルまたトンネルの連続で直川〜重岡11、重岡〜宗太郎14、宗太郎〜市棚12。合計37のトンネルを抜け峠越え。SL時代は大変だった。

大正6年着工、12年開通 宗太郎信号場設置

 日豊北線の工事は大正6年に佐伯側から開始。佐伯〜神原、神原〜重岡と開業し、最後まで残った工事区間が、難所の宗太郎越え、重岡〜市棚間だった。大正7年から8年にかけ工事に着手。第一次大戦後不安定化した経済状況の中(なんせ物価が2倍以上に跳ね上がった)で、請負業者が解約。国鉄直轄で再開するまで、“空白の8カ月”を生んだ。

路線図 苦しみながら工事は進んだ。山間部の奥地だけに、労働力の不足はいかんともしがたく、協力要請を受けた地元、大分県重岡村では一日平均17人延べ1530人の村民が出夫した。官民あげての鉄道敷設だった。

 そんな最中、大正12年4月29日に第4宗太郎隧道付近で山腹が崩壊し延岡口が埋まる被害。線路を変更し、桟橋を張り出して結んだ。重岡〜宗太郎は12年6月10日に竣工。宗太郎〜市棚の完成は12年12月15日(※この完成で日豊線全通)。宗太郎駅は、このとき信号場として設置された。当時は行き違いの停車だけで、旅客扱いはなかった。

昭和7年 旅客営業開始

 地域からは客扱いの要望が多く、大分県重岡村と宮崎県北川村は鉄道省に請願を続けた。当時の西畠駅長も尽力。昭和7年8月、請願者が乗降場設備工事費900円(重岡村850円、北川村50円)を負担することで、旅客乗降を許可された。7年12月6日から旅客営業を開始した。この日は、国分〜都城がつながり、現在の日豊線が形成された記念すべき日でもある。下りホームに西畠駅長らの功労記念碑が建てられている。信号場から駅に昇格したのは昭和22年3月1日。

昭和22年 駅に昇格

 宗太郎越え、すなわち小倉・大分・佐伯―宮崎を結ぶ列車は、大正12年の開業から7往復が続いた。時代は昭和になり、信号場で客扱いができるようになったころは8往復。昭和11年、ついに日豊線初の急行(203、204レ)が登場する。華やかな時代は長くは続かない。太平洋戦争が始まり、戦局が悪化すると軍需列車の比重が大きくなり、旅客列車は減少。戦後の昭和25年に6往復に回復するが、戦前のレベルには達しない。どの列車もスシ詰めで、輸送力は不足していた。

急行も客扱い停車

 昭和30年代に9往復、高度成長経済に入った昭和40年代には、地方の鉄道輸送力の強化も行われた。宮崎観光ブームも手伝って、43年には17・5往復。準定期列車だった、新婚さんの「ことぶき」号や「宮崎観光」号を加えると、19・5往復に達した。なんと宗太郎駅に急行「日南3」が客扱停車するという快挙も。それもつかの間、宗太郎は重岡と共に47年3月無人化。

 昭和49年4月、宮崎電化が完成。宗太郎峠にも電車が走るようになった。SLが苦労した峠を、モーターの音も軽やかに駆け上がった。55年には20・5往復に達する。この後は、赤字国鉄の列車削減で、昭和62年には15往復。これでJRに移行した

峠越え21往復時代

 JR九州も一時積極策に出て、平成7年には21往復としたが、運ぶのは空気ばかり。特急「富士」も消え、列車が年々減少、ついに14往復に。昭和30年の水準に逆戻り。JR化後、列車本数が年々減少しているのは、九州の本線の中ではここだけ。看板の特急「にちりん」も787系つばめ型(2000年撤退)→783系ハイパーサルーン型(5往復→3往復)→485系と年々グレードダウン。

★日豊線・宗太郎越の列車

■大正14年 【峠越え】7往復 ■昭和9年 【峠越え】8往復 ★宗太郎信号所客扱い停車 【下り】6:49,9:53,12:54,14:50,16:55,18:57,22:40 【上り】6:12,8:01,9:54,13:22,15:18,18:31,21:13 ■昭和15年 【峠越え】9往復(急行1、普通8) ★宗太郎信号所客扱い停車 【下り】6:56,9:35,13:08,15:22,17:36,19:48,22:05 【上り】6:12,7:46,9:34,12:38,15:24,18:46,21:28 ■昭和19年 【峠越え】7・5往復(普通下り7、上り8) ★宗太郎信号所客扱い停車 【下り】6:51,9:31,12:46,15:42,17:45,19:22 【上り】6:14,8:06,9:58,12:48,16:07,18:55,21:27 ■昭和25年 【峠越え】6往復(準急1、普通5) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】5:12,6:45,9:46,13:54,18:44 【上り】8:45,12:16,16:20,21:37 ■昭和31年 【峠越え】9往復(急行1、準急1、普通7) ■昭和43年(1968) 【峠越え】17・5往復(特急4往復、急行7往復、 普通下り7本、上り6本) これ以外に、臨ながら準定期の 急行「ことぶき」「宮崎観光」あり。 ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】 6:13,9:07,12:34(急日南3),13:54,16:40,17:52,20:00 【上り】 6:46,8:08,12:58,16:38,18:26,19:26(急日南3)
■昭和55年(1980) 【峠越え】20.5往復(特10、急5、普下り6、上り5) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】6:46,8:37,14:31,16:46,17:32,19:38 【上り】6:23,9:01,13:20,16:34,18:50 ■昭和62年(1987) 【峠越え】15往復(特急9、急行1、普通5) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】7:02,9:01,15:29,17:23,19:46 【上り】6:46,8:45,14:00,17:01,19:28
■平成4年(1992.7) 【峠越え】18往復(特急12、急行1、普通5) ■平成5年(1993) 【峠越え】20往復(特急15、普通5) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】7:06,8:30,15:56,17:37,19:41 【上り】6:39,8:30,14:04,17:03,19:41 ■平成7年(1995) 【峠越え】21往復(特急16、普通5) ■平成13年(2001) 【峠越え】14往復(特急9、普通5) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】7:03,8:29,15:54,17:57,20:05 【上り】6:32,8:29,14:01,17:05,19:56 ■平成15年(2003) 【峠越え】16往復(特急11、普通5) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】7:03,8:29,15:55,18:10,20:06 【上り】6:32,8:29,13:49,17:06,19:56
■平成16年(2004) 【峠越え】16往復(特急14、普通2) ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】7:03,18:06 【上り】6:31,17:20 ■平成17年(2005/10/1) 【峠越え】17往復(特急14、普通3) 寝台特急「彗星」廃止/代替「にちりん」運行 ★宗太郎駅客扱い停車 【下り】7:03,18:06,20:19 【上り】6:31,17:20,20:04
 九州新幹線開業の平成16年3月改正では、特急にちりんが増加するが、普通列車が大削減。佐伯〜延岡を通して運転する列車は5往復から2往復になる。区間運転を含めても佐伯〜重岡=3往復、重岡〜市棚=2往復、市棚〜延岡=5往復。重岡〜市棚間の宗太郎に停車する列車は2往復4本のみ。宗太郎信号所が客扱いを始めた頃は7往復14本だったのだが…。ついに九州最低レベルになってしまった。
国道10号・宗太郎越え VS 326号・三国峠越え
 大分宮崎の峠越えは鉄道だけではない。国道10号(〜大分〜犬飼〜佐伯〜延岡〜)も同様に、坂道とカーブが続く厳しい山越え。しかし、平成に入り、国道326号(〜犬飼〜三重〜北川〜)が整備されると、大分宮崎のメーンルートはこちらに移った。というか、元に戻った。昔はこの三国峠越が豊後〜日向の幹線だった。難所の三国峠もトンネルが抜け、直線のバイパスでつなぎ、国道10号より距離も短く、所要時間も約1時間短縮された。考えてみれば、三重回りは日豊線基本予定線でも明治25年当時の最有力案(大分〜犬飼〜三重〜小野市〜延岡)だった。臼杵佐伯ルートへの政治的決断がなければ、今頃は三国峠を列車が走り、宮崎大分間の時間短縮も楽だったかもしれない。
宮崎大分県境バス VS 日豊線2004
 宮崎大分県境を越えるバスは国道326号を走る宮崎交通の「わかあゆ号」(大分〜延岡)の2往復しかありません。2004年4月改正で大分バスが撤退し、4往復→2往復に減少しました。JR日豊線と併走する国道10号を走る路線バスは…
【大分バス】佐伯―(7本)―重岡
【宮崎交通】伊掛―(1本)―市棚―(3本)―北川―(8本)―延岡
 大分バスは重岡駅前で小野市や宇目へ、ターンしていきます。宮崎交通は市棚・瀬口まで3本、その先の伊掛から、松葉まで行くのは1本のみ。宗太郎越えをするバスはありません

【国道326】 【国道10】 【日豊線普通】
 ●大分   ●佐伯     ●佐伯
 ↑     |       |
 |宇目   | 7本    |5本→3本
 ●―――――●重岡     ●重岡
 |             |
 |(わかあゆ号)      |
 |2本  ……(県境)…… ○宗太郎5→2本
 |             |
 ●上赤   ●市棚     ●市棚
5本\   /        |
+2 \ /3本       |5本
  北川●          |
    |8本+2本     |
  延岡●          ●延岡
(+2本は「わかあゆ号」を示す)
【2005 宗太郎】10月改正で客扱いの普通列車は2往復→3往復。


 改訂 2004.4.20

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