直見駅なおみ(大分県直川村)
大正9(1920)年11月20日開業

直見駅 2004 直見駅直見駅の構内図

 直見駅は大正9年11月20日、南海部郡直見村に開業した。日豊北線建設で、大正6年に佐伯から工事を進めた1、2工区間。日豊北線初の営業区間で、佐伯駅―(4.6キロ)―上岡駅―(6.4キロ)―直見駅―(4.8キロ)―神原駅(→直川)間が開通した。

 当初は上岡〜神原間の駅は直見でなく、切畑(1工区の終点)に設置されるはずだったが、切畑地区が反対したため、直見にできた、といわれている。島式ホームの2線。初の直見駅長には、佐竹次延氏(若松駅助役)が着任した。駅員は3人。

 佐伯方、上岡駅から番匠川橋梁を渡り、須平、門田、江良などの集落を見ながら高城山の山麓を南下。提内川を渡ると、登りがきつく1000分の20勾配(20パーミル)になる。311Mの簾山(すだれやま)隧道に入る。岩盤が堅く、一日で15センチしか掘れなかった難工事の隧道を抜けると、直見駅に着く。直見―神原間は大原越えの“序曲”で17.1パーミル。だらだらと登っていく。番匠川の支流で、キリシタンの十字架(クルス)に由来するといわれる久留須川に沿って南下。そして大原峠越えの本番、神原―重岡間の20パーミルを迎える。

 利用者は昭和41年の24万7144人をピークに減少。46年には10万人を割り込む。昭和48年4月に無人化。その後、駅舎は公民館として使われたが、現在は解体された。構内には、昔ながらの便所(小便器は板で仕切られたのみ、本当に昔懐かしタイプ)のみが残る。便所に張り付けられた、時刻表も、寂しい。

 跨線橋を渡り、島式ホームに立つと、コンクリートのベンチに屋根をつけただけの簡単な上屋。西側の側線に保線車両の庫があるが、これが直見駅で一番りっぱな設備。併走する国道10号からは木々の中に跨線橋だけが見える。春は桜が美しい。
■直見駅乗降数■

▼S26年=13万4404人
▼S31年=16万3100人
▼S40年=23万3693人
▼S45年=11万3218人
▼S50年= 5万3072人
▼S55年= 3万6550人
▼S60年= 2万6886人
▼H 1年= 2万0383人
▼H 4年= 1万4544人
〜1日乗降40人前後〜


 直見駅前から西に向かうと本匠村。大正11年に国天然記念物に指定された小半鍾乳洞があり、公園には大水車やキャンプ場もある。久留須川はここから回り込んでくる。直見村は昭和26年に川原木村と合併して、直川村になった。中心は旧川原木村の神原に移る。


(2004-05-04)

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