直川駅なおかわ(大分県直川村)
大正9(1920)年11月20日開業

直川駅 2004 右側は旧保線区 直川駅 2004直川駅の構内図

 直川駅は大正9年11月20日、神原(ごうのはる)駅として、南海部郡川原木村神ノ原に開業した。この日開通した佐伯〜神原間15.8キロは、大正6年から始まった日豊北線建設で、最初の開業区間。佐伯から工事を進めた第1、2工区です。

 神原駅構内で盛大な開業式典が開かれた。5往復の混合列車が運転され、大正11年重岡駅が開業するまで日豊北線の終着駅としてにぎわった。日豊線全通は同12年まで待たなければならなかった。

 難読駅で有名だった“ごうのはる”駅は昭和36年3月20日に直川駅に改称。直見村と川原木村の合併で、直川村になったのを機会に駅名も改名した。このころから、佐伯の高校進学など利用者も増え、40年ごろには年間乗降33万人に達した。

新設された直川駅のホーム上屋 2004  その後道路の整備などで、鉄道利用は減少し、乗降客も4万人に落ち込んだ。昭和48年4月に合理化で委託駅になる。現在駅舎は解体され、駅跡が寂しいが、平成15年にホーム上屋が新設された。

 白を基調にした室内は清潔で、木製ベンチも似合う。上屋や跨線橋には、いつも季節の花が飾られている。竹筒の生け花に心がなごむ。16年3月から停車する普通列車は5往復→3往復に減少した。
■直川駅乗降数■

▼S 5年= 6万8623人
▼S10年= 3万9958人
▼S26年=18万8124人
▼S31年=20万7561人
▼S40年=33万7346人
▼S45年=16万6209人
▼S50年=10万3877人
▼S55年= 7万7669人
▼S60年= 4万3438人
▼H 1年= 4万0483人
▼H 4年= 3万8200人

〜1日乗降100人前後〜


【祝 日豊北線開業】
 大正9年11月20日、待望の日豊北線・佐伯〜神原間が開業した。飾り付けらた神原駅で、南海部郡鉄道期成会主催による盛大な開通式・祝賀会が行われた。1000人が出席したという。佐伯から祝賀臨時列車(佐伯発10:03→神原着10:57)も運行された。前夜来の秋雨に“水をさされた”が、午後1時から神原駅構内に設けられた大テント張りの式場で開会した。
 号砲に続いて、黒木期成会会長が式辞。小平門鉄局長(青木運輸課長代読)佐藤大分建設事務所長、毛利子爵、平山県議会議長、穂坂郡長、片岡郡会義長、山田中学校長、小田部町村長…の祝辞や演説が行われた。式に続いて祝宴にうつり、佐伯芸妓16人の手踊り、青年団仮装行列団の狂言などが披露された。午後3時半に閉会したが、川原木直見小学校生徒の旗行列、有志による「にわか」などもあり、大いににぎわったという。

【メモ】初代神原駅長には高田克巳氏(前直方駅助役)が着任した。駅員は電信掛員1人、駅員4人の5人。公衆電報も取り扱った。
【大正9年11月20日開通・日豊北線ダイヤ】
下り佐伯上岡直見神原
1/佐伯発7:057:217:417:54
2/大分発9:409:5610:1610:29
3/門司発13:4714:0314:2314:36
4/門司発17:0017:1317:3017:43
5/門司発20:4020:5421:1221:25
上り神原直見上岡佐伯
1/門司行8:208:358:549:05
2/門司行11:4011:5312:1012:21
3/門司行15:3015:4516:0416:15
4/門司行18:0018:1318:3018:41
5/佐伯行21:5022:0522:2422:35
※神原以南は自動車便と接続しており、「桜井自動車商会」(本社佐伯町)が、神原〜大原、延岡便を運行していた。広告には「延岡便は当分の間不定期にて連絡運転、小野市方面も便宜取りはからう」とある。
【下り】2番接続=大原行乗合▽3番=延岡行連絡▽4番=大原行乗合
【上り】2番接続=大原ヨリ乗合便、延岡ヨリ連絡便▽5番=大原ヨリ乗合便

【日豊北線ダイヤグラム】
大正9年日豊北線ダイヤ
(※WinDIAで作成)
【佐伯〜神原間運賃表】
 佐伯上岡直見神原
佐伯9銭
19銭
19銭
39銭
26銭
53銭
上岡9銭
19銭
11銭
23銭
19銭
39銭
直見19銭
39銭
11銭
23銭
9銭
19銭
神原26銭
53銭
19銭
39銭
9銭
19銭
(※上段は3等運賃、下段は2等運賃)
(参考文献=大分新聞、佐伯新聞、鉄道時刻表、佐伯市史、直川村史)

 直川村は合併の村だ。明治22年に横川+赤木+仁田原=川原木村、昭和26年に川原木+直見=直川村、今度は平成の大合併で佐伯市との合併に踏み切る。人口2800人の山村。自然を生かした観光に力を入れており、温泉「鉱泉センター直川」(直川駅から3キロ)をはじめ、森林公園「憩いの森」(キャンプ場、昆虫館)など。中世の石塔も多く残っており“石塔の里”でもある。仁田原の先には、弘法大師が立ち寄ったのを記念して創建されたと伝えられる黒沢地蔵もある。 宮崎県と境を接しており、かつての動脈、陸地(かちぢ)峠を越えると、宮崎県北川町松葉に入る。


(2004-05-04)

■トップページに戻る

■次のページへ

 

inserted by FC2 system