〜DE10 登場と撤退〜
2015年3月で、延岡地区におけるDE10形ディーゼル機関車の仕業が終了した。国鉄時代からJR九州、最後はJR貨物の入換専用車と変遷し、実に43年の活動に幕を下ろした。最後の車は1560号機。専用の入換車に交代した。
国鉄時代は大分機関区(→運転所)の車が南延岡機関区に常駐して、日豊支線(細島線)の貨物と延岡、南延岡の入れ換えに活躍した。20両の蒸気機関車が扇形庫に煙をあげていた1972年(昭和47年)に研修を兼ねて姿を見せ、D51の隣に並んだ。
大分には久大線無煙化の関係で1970年からDE10が新製投入され、1972年には13両に増備される。南延岡も1974年の電化に合わせ、入換や細島線などのDL化が予定されていた。研修を兼ねて、大分からDE10が顔を見せていたのもそのため。1972年秋に撮影した写真では、D51541号機の隣に、DE101016号機が並ぶ。1970年に大分に新製配置された車。当時は組合との関係もあり、常駐は73年秋から。運用は延岡駅入換の無煙化で、電化された1974年(昭和49年)4月から、細島線仕業も引き継ぐ。
本格運用で延岡に来たのは1132と153号機。1132は1971年10月に大分に新製配置された新鋭機。153は千葉の佐倉からの転入機。一番脚光を浴びたのは市内に保存される蒸気機関車を引っ張り出した時かもしれない。報道陣やファンや市民が訪れた。その後は、一日1往復の細島線貨物と延岡、南延岡の入れ換え。延岡では高千穂線と平行して走る旭化成レーヨン専用線に入り、市街地の三軒家ガードの上にも姿を見せた。
扇形車庫の主役はSLからキハ20気動車に代わり、救援車を挟んで、車庫の一番南側、12、13番がDLのねぐらだった。大分には20両のDE10がいたが、1132は延岡常駐が長く「実質南延岡配置か(笑)」ともいわれた。「日車製 第3000号」で、ファンにも隠れた人気があった。機関区には扇形車庫の隣にDE10用に、専用のDL検修庫が建設される(写真上 右下)
1987年(昭和62年)のJR移行後で機関区は運転区に改称されたが、運用は変わらなかった。1989年(平成元年)に高千穂線が3セク化され、気動車配置がなくなる。細島線の貨物も同年12月で休止(→1994廃止)。DE10の仕事は入換のみになる。久大線の客車運用でヘッドマークをつけていたころで、1175号機など、そのまま延岡に来た。1175は1992(平成4)年4月18日、延岡駅・南延岡駅開業70周年記念のトロッコ列車「お大師号」を牽引、日向市〜延岡間を2往復する。
JR九州のDE10は1997年(平成9年)で南延岡から撤退し大分に戻る。入換はJR貨物のDE10に引き継がれた。門司機関区の車で、終盤は入換専用車化された「入動車」になる。南延岡の車庫は解体され、DE10は延岡駅東側のコンテナ基地がねぐらになる。給油はどうやっているのか疑問だったが、タンクを乗せたトラックが横付けして、油を入れていた。(写真最上段 右下)
過酷な使われ形だった。門司から3カ月程度、延岡に来て作業し、戻る運用だった。2015年3月8日に通常の車両交代があり、1558号機から1560号機へ。ただ11日には真新しいオレンジ色のスイッチャー735が姿を見せ、入れ換え作業を開始する。DE10は予備機的存在に。延岡入れ換えはスイッチャーでも問題ないと確認後、DE10は22日に門司に返された。
最盛期5往復あった延岡貨物も、2往復に減少している。延岡のヤードは架線が張られ、貨物を引いてきた電気機関車が押し込むことも可能で、コキ6両程度の荷役線の移動だけなら、スイッチャーでも十分なのかもしれない。これでDE10形ディーゼル機関車は延岡地区での運用を完了した。 (BY A6 2015.04.25)
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