遅れた鉄道開業
日本初の鉄道は1872年(明治5年)10月14日、新橋〜横浜間に開業した。以来、全国に鉄道が建設された。関西(1874=M7大阪〜神戸)◇北海道(1880=M13幌内鉄道手宮〜札幌)◇東北(1883=M16日本鉄道上野〜熊谷、1887=M20上野〜仙台)◇中国(1888=M21山陽鉄道)◇四国(1988=M21伊予鉄道松山〜三津浜・軽便)と線路が広りをみせる。九州に鉄道ができたのは一番最後の1889年(明治22年)。なぜ、遅れたのか…。
上申書は出すが…
各地に広がる鉄道建設を指をくわえて見ていただけではなかった。九州でも門司〜熊本に至る鉄道建設は早くから叫ばれてきた。1883年(明治16年)、福岡県令(知事)が国にお伺いをたてるが、難色を示す。『幹線鉄道は国が造るから、民間はダメ』という、今も昔も変わらぬ官僚指示だった。
4県大同団結す
福岡県令は望みを捨てず、熊本、佐賀、長崎の県令と4県合同で、1886年(明治19年)6月に再び上申書を出す。予定線は門司〜熊本に加え、佐賀〜長崎も組み入れた。西九州も巻き込んで、大同団結した。許可が有れば、九州鉄道会社を発足させるという、段取りだった。
九州鉄道誕生
国は許可したが、援助はできないとそっぽをむく。県知事は、陸軍の熊本鎮台、海軍の佐世保鎮守府の連絡に活用できるから、『補助金をつけて欲しい』とやりあう。鉄道用地の国税免除など、なんとか補助の話もまとまり、九州鉄道は4県知事のきもいりで、各県の有力者が「三菱財閥」の資本参加を得て誕生した(九州だけでは金が集まらなかったのだ。明治10年の西南戦争から、わずか10年。われらが九州は予想以上に疲弊していたのかもしれない)。九州鉄道が三菱系で誕生したことには注目しなければならない。
主ルート門司〜熊本
1888年(明治21年)6月27日免許が下りた。
免許状には『…九州鉄道会社ヲ設立シ福岡県門司ヨリ小倉、福岡県久留米、熊本県熊本ヲ経テ三角迄 佐賀県田代ヨリ分岐佐賀県有田ヲ経テ長崎県長崎迄 有田ヨリ分岐シ長崎県佐世保迄 熊本県宇土ヨリ分岐シ八代迄 小倉ヨリ分岐シ福岡県行事迄鉄道ヲ敷設シ運輸ノ業ヲ営ムコトヲ免許…』さらに10年以内に工事を竣工すべしとある。
九州鉄道のすごさは、目標どおり、明治30年ごろまでに全線開業した点にある。
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